ザー、ザー、ザー。

吐寫物を流す水の音が響く。
口をゆすいで、メルディは鏡の中の自分の顔を見上げた。
どこか青白い顔のその瞳は、不安そうに揺れている。

「メルディは大丈夫よ・・・」

大丈夫、大丈夫と何度も繰り返しながら、そっと腹部を擦った。



    私は大丈夫だよ



最近、気が付くとメルディはうとうとしている気がする。
具合が悪いのではないかと心配したキールが本人に尋ねたが、本人は「眠たいだけ」と笑った。
いつも無理をする彼女のことだから本当かどうかは疑問だが、見たところ体調はそれほど悪いわけでもないので、
一応彼女の言葉を信用することにした。

そして、今日も例によってソファの上でメルディはうとうとしていたらしい。

「メルディ!メルディ!」
キールが呼びかけると、「う〜ん?」と目をこすりながらメルディが反応する。
「なにか?キール。どうかしたか?」
「どうかしたか、じゃない!今日はインフェリアからリッドたちが来る日だろ?」
まだ寝ぼけているメルディに、キールはそう返す。
あれだけ毎日指折り数えて楽しみにしていた彼女なのだ。
「!!そうだったよう!忘れてたよ、キール、大変な〜!!」
キールの言葉に飛び起きたメルディは、慌てて泣きそうになり、わたわたと準備をしようとする。
きっと、ご馳走をつくって待っていようとか、そんなことを考えていたに違いない。
しかしながら、もう到着の時刻だ。
今から準備をする時間などあるはずがなかった。
「料理なら、きっと来てからファラが張り切るに決まってるさ。いいから、迎えに行こう、メルディ」
台所に向かおうとしたメルディを引き止めてそう言い、まだ未練のありそうな彼女を促して玄関を出た。



「キール!メルディー!」
「リッド!ファラー!!」

船を下り、手を振りながらファラが走ってくる。
その後ろを、「走らなくてもいいのに」とでも言いたげにのんびりした歩調でリッドが付いてきていた。
「メルディ!わー、久しぶりだね!元気だった?」
「ファラも、元気そう!久しぶりだよぅ〜」
メルディとファラが抱き合うようにして再開を喜ぶ。
その様子を、遅れてやってきたリッドとキールが、やれやれ、と眺める形になった。
彼らに会うのは半年振りだ。
リッドたちの戦いの結果として、インフェリアとセレスティアが分かれてしまったのはもう2年も前のこと。
それからしばらくは行き来が出来なかったが、今ではチャットの船でお互いの星を行き来出来るようになった。
チャットの船を参考にして、星の間を行き来する大型の船を作ろうという計画も持ち上がっている。
「キールも久しぶり!大きくなったねぇ〜」
「「なってない、なってない」」
嬉しそうに言うファラにリッドとキールの二人でそうつっこみ、それからまだ喋ろうとする女の子二人組を押しとどめ、
四人はとりあえず今晩の宿となるメルディの家へと向かった。



「よーし、張り切って料理するぞぉー!」
「あっ、メルディも手伝うよう〜」

二人がばたばたと台所に消え、残されたリッドとキールはテーブルの所定の位置につく。
あ、と思い出したようにリッドが荷物をとりに行き、そこから封書を出してきてキールに手渡した。

「ほらよ。アレンデ王女からだぜ」
「ああ」

キールは受け取ると、中から手紙を取り出し、目を通す。
顔色を変えることなく読み終えた幼馴染を見て、「予想通りの内容か?」と尋ねた。
「まあな。今回のリッドたちの訪問の理由は、これだろうと思っていたから」
手紙には、星の間を行き来するための船を作るためにセレスティアから何人か技術者を呼びたいこと、
そしてそのうちの1人としてキールに是非来て欲しいということが書いてあった。
船を作る、という計画を聞いていたときから、予測していたことだった。
「それで?来るんだろ?メルディも連れて来るのか?」
「勿論、研究には関わりたい。長くインフェリアにいることになるから、メルディも連れて行きたいけれど・・・」
本人が望んでからだけどな、とキールは最後にそう付けたし、会話をやめにした。

程なくして、ファラとメルディがご馳走を抱えて二人の前に現れる。
料理を全てテーブルの上にセットし終えると、ファラたちも席につき、いただきますの挨拶をした。
しばし、歓談しながらの食事。
近況を報告しあい、ある程度落ち着いてきた頃、キールはメルディにインフェリア行きの話を持ち出した。

「インフェリアで、船を作る研究に呼ばれたんだ。僕は、インフェリアに行こうと思う」
そう切り出すと、メルディはほえ?と動かしていた口を止め、じっとキールの方を見つめた。
「向こうに行ったら長くなる。多分、半年以上かかるだろう。だから、一緒に行かないか、メルディ」
まるでプロポーズだ。
言いながらふとキールはそう思ったが、今更言葉は替えられない。
じっと、メルディの返事を待つ。
「半年・・・」
すぐに喜んで首を縦に振ると思っていたメルディは、なぜか困ったように首を傾げ、寂しそうに笑った。

「ごめんな、メルディ、行けないよ」

「!!」
「ええ!?メルディ、何で!?」
これには、キールだけでなくリッドやファラも驚いたらしい。
思わず立ち上がってメルディを見る三人を見上げ、メルディは申し訳なさそうに笑った。
「メルディは、セレスティアが故郷。ここはメルディが家。だから、守らなくちゃ」
ごめんなキール、と謝りながらメルディはそう告げた。
「ここで、キールがこと待ってるよ。だから、キールは自分の夢、叶えて?」
「それは・・・。だけど・・・」

釈然としないまま、キールは何も言い返せない。
当然ついてくるものと、そう思っていた。
セレスティアに来てからずっと、一緒だったから。
言葉にはしていないけれど、お互い大事に思っていて、かけがえのない存在で。
だから、プロポーズのようなあの台詞を喜んで「大好きキール!」と言って受けてくれると思っていたのに。

「ほら、三人とも立ってるとご馳走冷めちゃうよう?これとか、美味しそうな!」
まだ呆然としたままの三人にそう呼びかけながら、メルディはまだ誰も口にしていない料理に手を伸ばす。
ファラが作った、インフェリアの家庭的な料理。
「食べないなら、メルディが食べちゃうよぅ〜」
そう言ってぱくんと一口食べ、それから顔を青ざめてばたばたと洗面所の方へかけていった。
驚いたファラがそれを追いかけ、キールとリッドもその後に付いて行く。

メルディは、吐いていた。

青白い顔のメルディの背を、「大丈夫?」と繰り返しながらファラが擦る。
「どうしよう、味変だった?どうしたの、メルディ?」
「ううん、ううん、違うよう。美味しかったよファラ。ごめんな・・・」
自分の調理がまずかったのかと心配げなファラに、メルディは何度も違うと繰り返した。
その様子に、ファラは不審げな顔をする。

メルディが食べたのは、インフェリア料理の中でも癖のある食材を使った料理。
その独特の匂いから、妊娠中には悪阻を起こすものも多い食材で・・・。

「まさか、メルディ、子どもが・・・?」
「・・・っ!」
呟きにびくん、と反応したメルディを見て、ファラは絶対そうだと確信した。
洗面所のドアを開け、外から心配そうに見守っているキールたちの方に向かう。
「ファラ、メルディは?」
キールの質問に、吐いてるだけだよ大丈夫、と彼女にしては珍しくぶっきらぼうに答え、怖い顔でキールを見据えた。

「キール!知ってたの!?」

「え?ええ??」
何のことだか分からないキールは、突然のファラの剣幕にうろたえるしかない。
起こると物凄く怖いのだ、ファラは。
「メルディのことだよ!キール、何も知らなかったの!?」
「知らなかった、って、何が・・・?」
「メルディ、子どもがいるんだよ!?何も気付かなかったの!?」
「はぁ?子どもって、子どもって、メルディにか?」
ファラの言葉に固まってしまったキールに代わり、リッドがそう尋ねた。
そうだよ、おなかに子どもがいるの!とキールの方を見ながらファラが答える。

「だって、子どもって、そんな兆候なんか・・・」
呟いてから、キールははっと気付く。
そんな兆候は、あったのだ。
最近ずっとうとうとと眠たそうだったし、どこか貧血気味のようだった。
そういえば独特の風味のあるセレスティア料理も、最近は控えめだった。
キールが気にとめていなかっただけで、それは、そういう事だったのだ。

「とにかく!ちゃんと話し合うこと!話し合うまでご飯はお預けだからね!」

そう言ってファラは自慢の力でキールをぐいぐいと洗面所に押し込み、バタンとドアを閉めてしまった。
お預けって、リッドでもあるまいし。
そう言いたくても、強引に押し込まれたキールにはもう言うことが出来ない。
はあ、と溜息をつくと、「・・・きーるぅ・・・?」と不安そうな小さな声が聞こえた。

メルディだ。

「・・・子どもが、いるって、本当なのか?」
声を振りしぼるようにして、そう尋ねる。
黙ったまま、メルディはこくん、と頷いた。
「僕の子ども・・・だよな?」
馬鹿みたいなことを聞いている。
自分のいる時間帯なら、追い払える邪魔な虫はすべて追い払っている。
今更聞くことでもないのに。
それでも、こくりと頷いたメルディを見てどこかほっとする自分がいた。

「キール、怒ってる・・・?」
「・・・っ!当たり前だ、馬鹿!そんな、大事なこと―――」

怒鳴って、その途中でキールははたと怒鳴るのを止める。
対するメルディは、不安でいっぱいの顔をして、今にも泣きそうに小さく震えていた。
そんな顔をさせたいんじゃない。
そんな風に怒って、メルディを泣かせたいわけではないのだ。

「・・・ごめん、メルディ。怒鳴って、ごめん」
「ううん、黙っててごめんなさい。ちょっと前から、知ってた」
首を横に振り、ぽつりとメルディが呟いた。

「インフェリアに行かないと言ったのは、それでか?」

キールが尋ねると、メルディはこくりと頷いた。
「僕に黙ったままで、僕がインフェリアに言っている間に、子どもをどうするつもりだったんだ・・・?」
「だって、インフェリアに行くって話、ずっと前から噂あったよ。だから、キール行くんだって思ってた。
 研究は、キールが夢。だけど、メルディ子どもいたら行けなくなっちゃう。キールの夢なのに!」
「メルディ・・・」
「メルディ、キールの邪魔になりたくない!でも、でも、どうしても、子ども産みたかったの!
 キール困るって分かってるのに、我慢できなかった!我慢できなかったよう・・・!!」

ぼろぼろと涙をこぼし、泣き叫ぶメルディを、たまらなくなってキールは抱きしめる。
知らなかったなんて、気付かなかったなんて、罪深いこと。
そんなはずがあるわけない、考えたら分かることなのに。
毎晩のようにこの体を抱きしめた。
避妊することも思いつかず、ただ心が求めるまま愛し合った。
そして、こんなにも傷つけてしまった。

「ごめん、ごめんな、メルディ」
「ごめんなさい、キール。ごめんなさい。困らせたくなかったよ・・・」
メルディの言葉に、キールは首を横に振る。
「インフェリアには、行かないから」
キールの言葉に、メルディは「え!」と目を丸くする。
「そんなのダメ!ダメだようキール!だってキールが好きな研究、向こうで待ってるのに!」
「それはいいんだ。もう決めた。セレスティアに残るよ」
「ダメだようキール!メルディなら、大丈夫だよ?ちゃんと、キールがこと待ってるよ」

「僕が待てない」

キールの告げた台詞に、メルディがなおも言い募ろうとした言葉を止める。
「お前が良くても、僕は我慢できないそんなの。だって僕とメルディの子だろ?」
「キール・・・?」
「技術者に代わりは要るし、僕に代われる人もきっといる。だけど、メルディとおなかの子にとっては、僕の代わりはないだろ」
ぎゅうと、その小さな手を握り締めた。
キール、とメルディが小声で呟く。
「キール、でも、いいの・・・?」
「ああ。順番を、間違えてごめん・・・家族に、なろう?」
「・・・っ!!キールぅ!!」

今度こそ本当のプロポーズ。
言葉のあやではなくて、本心からの。

「キール!キール、大好き・・・!!」
「馬鹿、あんまり連発されると恥ずかしいだろ・・・。本当に・・・」



もう、私は大丈夫だと悲しい笑顔をさせたりしない。
ずっと、そばにいる。



ずっと。


END


さくさく書けました妊娠ネタ。なんだこのキール、最低じゃないか(笑)
私のツボにのみジャストミートな話にしてしまいました。
自分で書いといてメルディの健気さに泣けてしまいましたよ。ホロリ。


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